オードリーヘップバーンの晩年と死因 生い立ちやスパイ疑惑について!

オードリーヘップバーン 画像

英ハリウッド女優・オードリーヘップバーンのスパイ疑惑の真相が、11月30日放送の「水トク!」で特集されます。

番組では「実録!THEスパイ!!世界の歴史を変えた!コレがスパイの正体SP」と題して、ナチス占領下のオランダでスパイをさせられてたと、噂されるヘップバーンの真実を明かすようです。

女優のオードリーヘップバーンはイギリス人で、1929年5月4日~1993年1月20日で生涯の幕を閉じたハリウッド女優です。

映画『ローマの休日』で人気を博し、1989年に引退。

晩年は国際連合児童基金ユニセフの親善大使に就任し、恵まれない子供たちへの支援活動に取り組んでいました。

ところが、ユニセフの親善活動も3年目に差し掛かった際、ヘップバーンに癌が発覚。

すぐに手術を行うも癌は全身の部位に転移し、手の施しようがありませんでした。

結局、ヘップバーンは1993年1月20日、スイスのトロシュナの自宅で息を引き取ったのでした。享年63歳。

ヘップバーンの死因は「腹膜偽粘液腫」。

この病気は腹腔内で増殖し、大量の粘液を産生しながら、他臓器に癒着・圧排する病気と言われています。

今回は、オードリーヘップバーンのスパイ疑惑について、幼少期からの生い立ちなどに迫ってみようと思います。

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オードリーヘップバーン 晩年の活動と死因

晩年、オードリーヘップバーンはユニセフの親善大使に就任し、当時内戦の続くソマリアやスーダンなどの子供たちに笑顔を届けていたといいます。

1989年に引退したヘップバーンは、後に恵まれない子供たちへの支援活動に取り組むこととなり、「わたしは、ユニセフが子供にとってどんな存在なのか、はっきり証言できます。なぜって、私自身が第二次世界大戦の直後に、食べ物や医療の援助を受けた子供の一人だったのですから」と、当時に語っています。

晩年のヘップバーンは戦争や貧困の深刻な地域を訪ね、飢えや病気に苦しむ多くの子供達の現状に接し、励まし、食料、薬品などの支援やその広報活動に励み各地の悲惨な状況を世界の人々に訴えていました。

しかし、ヘップバーンは1992年9月、ソマリア視察中に異変に気付くことになります。

スイスの自宅へ戻った直後、腹痛を訴え、10月には精密検査を受けることになりました。

結果、悪性腫瘍が虫垂や小腸へ転移していることが判明。

病名は「腹膜偽粘液腫」だったのです。

ヘップバーンはすぐに手術を受けたようですが、術後、腸閉塞を発症。

再手術を試みるも、すでに悪性腫瘍が全身の部位に転移し、手の施しようがなかったそうです。

末期癌の末に余命もわずかだと悟ったヘップバーンは、その後スイスの実家に戻ることになり、1993年1月20日の夕刻、ついに息を引き取ったのです。

死因は「腹膜偽粘液腫」とのことですが、「虫垂癌」「大腸癌」と、死因について様々な説があるといいます。

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オードリーヘップバーン スパイ疑惑と生い立ち

オードリーヘップバーンの生い立ちについてですが、ヘップバーンは1929年、ベルギーのブリュッセルで生まれました。

父親はアイルランド系のイギリス人でナチス黒シャツ党の幹部。

母親はオランダの男爵家の出身だそうです。

ヘップバーンは5歳からイギリスで暮らし、9歳の時に両親が離婚。

その後オランダのアルンヘムへ移住したとされています。

ところが、そのころのオランダといえば、第二次世界大戦が勃発。

翌1940年には、ナチスがオランダに侵攻しているのです。

すると、オランダにいたユダヤ人のほとんどがナチスの被害に遭ってしまうのですが、このナチスのフランス侵攻は、第二次世界大戦中、ドイツ軍をはじめとする枢軸国軍と連合国軍とのベネルクス三国・フランス北部での戦闘だったのです。

そのためにアルンヘムはナチスへの抵抗運動も激しかったようで、当時11歳のヘップバーンはスパイに手紙を渡したりして、抵抗運動に協力していたといいます。

ですが、反ナチス運動の連絡係をしていたことがバレて捕まり、異父兄弟も強制収容所送りに。

そのためヘップバーンは栄養失調に襲われました。

このような幼少時代の生い立ちが、ヘップバーンのスパイ疑惑として語られているようなのです。

その後のヘップバーンは、女優となり、1953年に『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得。

以降も『ティファニーで朝食を』(1961年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)などの人気作に出演。

数々の賞を受賞し、トップの座に上り詰めたのですが、1960年代後半から1970年代にかけては子育てに専念するために、主演作のオファーを断り続けました。

そして、25歳だったヘップバーンは1954年にメル・ファラーと結婚。

1960年には待望の息子ショーンが生まれました。

その後はというと、66年、67年と続けて流産したこともあり、結婚生活を維持できなくなったといいます。

夫婦は同年秋に別居した後、68年11月、正式に離婚。

ところが、ヘップバーンは翌年1月18日に再婚するのです。

相手は離婚する前に知り合った精神科医のアンドレア・ドッティという人物で、2人はスイスのモルジュ村の教会で結婚式を挙げたのでした。

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