松野有里巳がティップネスのインストラクターに!現在の病名は不育症?

松野有里巳 画像

元アイドルグループ「ribbon」のメンバー・松野有里巳(45)が、これまで子供を3度流産していることをテレビで告白しました。

その原因となったのは「不育症」という病気におかされていた為でした。

結局、松野有里巳は子供をあきらめて、2007年に芸能活動を再開し、現在は「ティップネス下北沢」でスポーツインストラクターを掛け持ちしているといいます。

インストラクターになったのは、当時ジムに通っていた際にスカウトされたのがきっかけで、旦那に後押しされたことが決め手になり、決心したのだとか。

そこで今回は、子供を流産してしまった原因の「不育症」のことや、ティップネス下北沢のインストラクターになった経緯などについて、少し探ってみたいと思います。

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松野有里巳の病名 不育症とは?

松野有里巳が患った「不育症」という病名は、あまり聞きなれた病気ではありませんが、「不妊症」とは違い、妊娠はするものの、何らかの原因によって流産や死産を繰り返してしまう病だとか。

それも約65パーセントが原因不明だといいます。

松野有里巳自身は、普通に妊娠して子供が産めると思っていたらしく、「妊娠っていうものが遠く感じた」と、当時の辛い過去を語っています。

しかし、この「不育症」という病名の病はそんなにめずらしいものではないらしく、妊娠した女性の約20人に1人は「不育症」なのだそう。

ただ、不育症であっても出産は可能だそうで、治療しなくても次の妊娠で出産しているケースが多いそうです。

一般的には松野のように、2回流産が続いた場合、病院に行って詳しい検査を受けるように勧められるようです。

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旦那に後押しされティップネスのインストラクターに!

現在は芸能界に復帰している松野有里巳ですが、併用して都内の「ティップネス下北沢」で、スポーツインストラクターとしても働いているそうです。

松野有里巳は、29歳の頃に、太ってきたことからそろそろ運動しないとダメだなと思い、スポーツジムに入ったのがインストラクターになるきっかけだったとか。

さらに、通っているうちに段々とハマって行き、週5で通って汗を流していたといいます。

そして5年が経ったとき、インストラクターの先生が松野の出来上がったふくらはぎを見て、「インストラクターやってみない?」と声をかけてきたのだとか。

松野自身も「自分ならこうしたい」というイメージがあったらしく、そのことを旦那に相談すると「やってみれば?」と言われたそうです。

そうして、資格を取るために半年間学校に通い、無事、試験に合格したのでした。

松野有里巳の旦那もダンスが好きだそうで、出会いもダンスレッスンだったといいます。

そしてオチとして、実は、松野が合格する半年前に旦那もインストラクターの資格を取っていたそうです。

松野有里巳 子どもを3度流産

松野有里巳は永作博美、佐藤愛子と共にアイドルグループ「ribbon」として活躍した後、1995年に引退。

1998年にバンド「バナナギャングス」の元ボーカル、たかはしごう氏と25歳のときに結婚しました。

旦那であるたかはしごう氏は現在、声優の林原めぐみらに曲を提供する作曲家として活動しています。

そんなとき初めて妊娠したのが28歳のときで、やっとの思いでできた子供が、6週目で早期流産してしまったのです。

その後、2度目の妊娠は30歳のときだったそうですが、8週目で腹部に激痛が走り、流産。

3度目の妊娠は33歳でしたが、そのときも流産してしまったということです。

松野有里巳は、妊娠しては流産の繰り返しで、医師から「不育症」と診断されていたといいます。

また、最後にと松野有里巳は40歳で体外受精にチャレンジしますが、妊娠に至らなかったため、子供の方は最終的にあきらめたそうです。

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